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日本の国の創世と神々の物語。
稗田阿礼がかたり、太安麻呂がしるした「古事記」(712)、舎人親王がまとめた「日本書紀」(720)、常陸(ひたち)、播磨(はりま)、出雲(いずも)、豊後(ぶんご)、肥前(びぜん)など各地方の伝承をしるした「風土記」、平安初期に成立した「古語拾遺」「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)」などを資料として形づくられている。資料によって神名や物語に異同があるため、以下では、日本最古の書物とされる「古事記」全3巻のうち、上巻の神代の物語から日本神話の概略をたどっていく。
天地開闢と国生み
宇宙ができはじめたころ、天上の高天原(たかまがはら)にアメノミナカヌシノカミ(宇宙の中心の神の意味)があらわれる。次にタカミムスヒノカミ、カムムスヒノカミ(ともに生成の神の意味)が出現する。つづいて国土が水にういた油のようにかたまらず、クラゲのようにただよっていたところに、ウマシアシカビヒコジノカミ(アシの芽がのびる勢いの神の意味)とアメノトコタチノカミ(天の永遠の神の意味)があらわれる。
これらの神々は単身であらわれ、瞬時に姿をけしていった。さらに国土の生成をあらわす神々や男女対になった神々が次々と出現し、最後にイザナキノミコトとイザナミノミコトの男女の2神があらわれた。
イザナキノミコトとイザナミノミコト
イザナキとイザナミは、天神(あまつかみ)からさずかった天沼矛(あめのぬぼこ)を雲の上の天の浮橋からさしおろして、海の水をかきまぜた。すると、ひきあげた矛先からしたたりおちた塩がかたまって、オノゴロジマができた。二人はその島におりて結婚し、日本列島の大小8つの島を生む。
国生みがおわると、岩石や土、海、風、木、山、野、船、穀物などの神々を次々と生んでいった。しかしイザナミは、最後にヒノカグツチノカミ(火の神の意味)を生むときに陰部に火傷(やけど)をおい、死んでしまった。
黄泉国の物語
イザナキは、地底の黄泉国(よみのくに)へイザナミをたずねていく。しかし妻の体にウジがわき、8人の雷神が生まれているのをみて、あまりの恐ろしさににげだしてしまう。はずかしい姿をみられた妻は、鬼女や雷神や大勢の軍隊にイザナキのあとをおわせた。髪飾りをなげて野ブドウをはやしたり、櫛(くし)の歯を折ってタケノコをはやしたり、モモの実をなげて追っ手の気をそらした夫は、黄泉国とこの世をむすぶ穴を大岩でふさいでしまう。
アマテラスオオミカミの誕生
生還をはたしたイザナキが、身をきよめるための禊をすると、すてた杖(つえ)や衣服から次々と神々が生まれた。最後に左目をあらうと、高天原をおさめるアマテラスオオミカミ、右目をあらうと夜の国をおさめるツクヨミノミコト、鼻をあらうと海原をおさめるスサノオノミコトが生まれた。
高天原の物語
スサノオノミコトは、ひげが長くのびる年ごろになっても、海原をおさめる務めもはたさず、母のいる黄泉国にいきたいと泣いてばかりいた。いとまごいのために、天上の高天原の姉アマテラスオオミカミをたずねたが、そのときの荒々しい騒ぎに、姉は弟が国をうばいにきたのかと男の姿で武装してのぞむ。
弟は邪心のない証明に、あらかじめ神にちかったとおりの結果があらわれるかどうかをうらなう誓約をして、それぞれの子を生むことを提案した。姉は弟の剣を3つに折って口にいれ、3人の女神を生んだ。弟は姉の珠(たま)をとって口にいれ、5人の男神を生んだ。
天岩屋戸
こうして潔白をみとめられた弟だったが、調子にのって高天原で狼藉(ろうぜき)をはたらきだした。それまではかばっていた姉だったが、弟が皮をはぎとった馬の死骸をおとしておどろいた機織り女を死にいたらしめるにおよんで、おこって天上の岩窟(がんくつ)、天の岩屋にとじこもってしまう。
すると天上も下界も真っ暗になり、悪神が横行し、災いが生じはじめた。八百万(やおよろず)の神々は相談し、天の岩屋戸の前でお祭り騒ぎをはじめた。企ては成功し、アマテラスオオミカミはおびきだされ、天地にふたたび光明がおとずれた。
出雲国の物語
スサノオノミコトは、ひげを切られ、手足の爪(つめ)をぬかれて、高天原を追放される。出雲国(現、島根県)の肥河(ひのかわ)の上流の鳥髪(とりかみ)におり、ヤマタノオロチを殺し、その犠牲となるはずだったクシナダヒメと結婚する。
オオクニヌシノカミ
スサノオノミコトの6代目の子孫オオクニヌシノカミは、ヤガミヒメに求婚する兄のヤソガミにつれられて因幡(いなば)国(現、鳥取県)にやってきた。そこで兄たちにいじめられたイナバノシロウサギをすくう。ウサギは、ヤガミヒメとオオクニヌシの結婚を予言し、的中する。しかし、嫉妬した兄たちの悪巧みによってオオクニヌシは殺されそうになり、スサノオノミコトのいる地底にある根の堅洲国(かたすくに)ににげる。
オオクニヌシはそこでスセリビメノミコトとであい、スサノオノミコトが課した難題を解決して、二人はむすばれる。オオクニヌシは、スサノオノミコトからさずかった太刀(たち)と弓をもって出雲にもどり、わるい兄弟たちをおいはらい、スクナビコナノミコトやオオモノヌシノカミらの力をえて、国をさかえさせていく。
国譲り
高天原のアマテラスオオミカミは、下界は自分の子供のアメノオシホミミノミコトがおさめるべきだとして、アメノホヒノミコトやアメワカヒコを使いにたてるが、2人ともオオクニヌシノカミのおさめる出雲国の居心地のよさに安住してしまう。そこで雷と剣の神タケミカヅチノカミと船の神アメノトリフネノカミの2人が派遣された。
タケミカヅチノカミは、波の上に逆さにたてた剣にあぐらをかいて、オオクニヌシに国をゆずるように申しいれた。それにはオオクニヌシの2人の息子がこたえた。2人の息子のうち、ヤエコトシロヌシノカミは承諾したが、タケミナカタノカミは反対しタケミカヅチノカミに力比べをいどむ。しかし結局、タケミナカタノカミの完敗によって、オオクニヌシの一族は地上の国をゆずった。
天孫降臨
その間に高天原ではアメノオシホミミノミコトに子供が生まれた。このニニギノミコトが下界をおさめるために、サルタヒコノオオカミの先導によって高天原から筑紫(古代九州の総称)の高千穂の峰に天くだった。このとき、アマテラスオオミカミはニニギに三種の神器をわたした。
天くだったのち、ニニギは、笠沙の御崎(かささのみさき:現、鹿児島県野間半島)でであったうつくしいコノハナノサクヤビメと結婚し、ホデリノミコトとホオリノミコト、つまり海で魚をとるのにたけた海幸彦と山の狩りにたけた山幸彦が生まれた。
筑紫国の物語
海幸彦・山幸彦
山幸彦は、兄の海幸彦にたのんで、狩りと釣りの道具を交換する。しかし、たがいに成果があがらないうえに、弟は釣り針を魚にとられてなくしてしまう。自分の剣をくだいて1000本もの釣り針をつくったが、兄はゆるさず、なくした釣り針をかえせという。こまった弟の前にシオヅチノカミがあらわれ、カゴの舟をしめし海神(わたつみ)の宮殿へいくように指示する。
宮殿についた山幸彦はトヨタマヒメにであい、結婚する。釣り針もトヨタマヒメの父が赤ダイののどからさがしだしてくれる。地上にもどると、海神にまもられて豊かになる弟に対して攻撃してきた兄を、山幸彦は海神からもらった塩満(しおみつ)玉でおぼれさせ、塩乾(しおひる)玉でたすけて、ついに降参させる。こうして兄弟はよりをもどした。
妊娠したトヨタマヒメが海からやってくると、山幸彦は鵜(う)の羽で屋根をふいた産屋をつくった。妻は生まれた国の姿になって出産するから絶対にみるなとたのむが、不思議に思った夫は、ついのぞいてみる。すると、妻は大きなワニになって陣痛にたえていた。恥ずかしさのあまり、トヨタマヒメは生まれたばかりのウガヤフキアエズノミコトをのこしたまま、海にかえってしまう。
神武天皇
しかし、夫や子供へのこいしい気持ちから、トヨタマヒメは妹のタマヨリビメを地上につかわす。やがてウガヤフキアエズノミコトとタマヨリビメは結婚する。二人から4人の子供が生まれ、末の弟ワカミケヌノミコトは、のちに神武天皇になった。 「古事記」中・下巻では、神武天皇から33代推古天皇にいたる天皇や皇子の物語がかたられていく。
日本神話の特徴
日本神話は以上のように、高天原、出雲、筑紫の3つの舞台からなりたち、神話の物語のポイントとなる場所は現在でも対照できる。
ギリシア、ローマやペルシア、メソポタミアなど世界各地の神話と日本神話の意味が大きくことなる点は、神々の系譜が初代天皇から歴代につらなるという、いちじるしい国家性や民族的性格だろう。事実、第2次世界大戦終結までは、神話は日本史の起源としてとらえられ、天皇を神々の末裔(まつえい)とする学校教育がおこなわれていた。
現代では、神話世界はフィクションとして歴史とは区別されている。しかし、いっぽうで信仰の有無にかかわらず、神社に初詣(はつもう)でにでかけたり、建物の新改築の際にほとんどが地鎮祭をもよおすなど、神々との接点は現代生活の中でもたたれていない。日本人を考えるとき、神話世界の神々がつねについてまわっている不思議に思いいたらざるをえない。
比較神話研究
こうした日本固有の宗教的なあり方とはいえ、「古事記」や「日本書紀」などでかたられる神々のエピソードは、日本独自のものではない。
イザナキとイザナミが矛で海をかきまわしてオノゴロジマをつくる話はポリネシアやモンゴルの神話に、イザナキとイザナミの柱をめぐる婚姻は南中国から東南アジアに、イザナミの陰部と火の関連はメラネシアやポリネシアに、それぞれ類型があるという。
またイザナキが黄泉国へイザナミをたずねる部分はギリシア神話のオルフェウスとエウリディケの話に、スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治はペルセウスとアンドロメダの話に似ている。オオクニヌシとウサギとサメの話はジャワやインドネシアに、山幸彦が釣り針をなくして魚の世界からふたたびとりもどす話も太平洋地域に分布しているという 。
古代社会において、東南アジア地域の神話は、水田の稲作と焼畑の雑穀栽培の農業移入とともに日本にもたらされたとされる。また、ギリシアやゲルマン、ケルトなど、インド・ヨーロッパ語系の神話体系は、黒海周辺でギリシア人と盛んに交易をもったイラン系騎馬遊牧民の神話が、アルタイ系遊牧民をへて、朝鮮半島から日本にもたらされたとされる。
こうした比較神話研究には、大林太良や吉田敦彦らのすぐれた成果があり、そこからは日本神話を構成するエピソードのほとんどは海外に類型があるという結論がひきだされていく。ここに国家や民族の固有性を日本神話にもとめていけばいくほど、求心力がうしなわれていくというパラドックスが生まれてくる。
神話のつたえること
イザナキとイザナミの結婚は、柱をまわっておこなわれる。このときに男性は左からまわり、女性は右からまわる。ここには、右よりも左をとうといとする考え方が反映されている。また、2人は声をかけあって結婚している。そしてイザナミから先に相手に声をかけると不完全な出産をむかえる。死んだイザナミがくらす黄泉国は地底深くにある。死者は地上とはちがう場所に生きていて、そこは生きている人間がみてはならない場所だと考えられていた。
また、オオクニヌシノカミはウサギにガマの花粉を止血薬としてもちいる知恵をさずける。また兄たちによって大火傷をおわされたオオクニヌシが蘇生するときには、キカガイヒメが貝殻をけずり、ウムガイヒメがその粉をハマグリの汁でといてぬっている。これらは神話を通じてつたえられた医学処方といえ、随所に古代の文化や生活の知恵がのぞいている。
このように、日本神話は、文学としての楽しみや生活文化史の検証をはじめ、さまざまな学問研究の素材となっている。
イザナキ(伊弉諾尊)とイザナミ(伊弉冉尊)
日本神話で国を生んだとされる、イザナキノミコト(伊弉諾尊)とイザナミノミコト(伊弉冉尊)の男女一対の神。伊邪那岐命、伊邪那美命ともしるされる。
国生みと神々の誕生
イザナキノミコトとイザナミノミコトの2人が、天の浮橋にたち、天神(あまつかみ)からさずかった天沼矛(あめのぬぼこ)をさしおろして海水をかきまぜると、ひきあげた矛の先からしたたりおちた塩がかたまって、オノゴロジマができた。島におりて、柱をたて、周囲をまわって、男神の体の余分な部分と女神の体の不足している部分をあわせて結婚し、日本列島の形をなす大小8つの島が生まれた。
次に岩石や土、海、風、木、山、野、船、穀物などの神々を次々と生んだが、イザナミは最後にヒノカグツチノカミ(火之迦具土神)を生むとき陰部に火傷(やけど)をおい、それが災いして死んでしまう。おこったイザナキはヒノカグツチノカミを剣で切りすてる。するととびちったその血から、剣や雷などの神が生まれた。
黄泉国(よみのくに)
イザナミの死をなげきかなしんだイザナキは、死者たちがくらすと考えられていた地底の黄泉国(よみのくに)へ妻のあとをおっていく。真っ暗な中で再会した2人だったが、妻の体にウジがわき、8人の雷神が生まれているのをみて、夫はおそろしくなって逃亡をくわだてる。はずかしい姿をみられた妻は、黄泉国の鬼女や雷神や大勢の軍隊にあとをおわせた。
イザナキは、髪飾りをなげて野ブドウを生やしたり、櫛(くし)の歯を折ってタケノコを生やしたり、桃の実をなげたりして、追っ手の気をそらしていく。そして黄泉国とこの世をむすぶ岩場の道、黄泉比良坂(よもつひらさか)を大岩でふさいでしまう。大岩を境に妻が「あなたの国の人間を一日に1000人殺す」とおどかすと、夫は「私は一日に1500人の人間をつくろう」とこたえた。
アマテラスオオミカミ
すさまじい離婚劇のすえに、黄泉国から生還をはたしたイザナキは、身をきよめるための禊をした。すると、そのときすてた杖(つえ)や衣服からも次々と神々が生まれた。そして最後に左目をあらうとアマテラスオオミカミ、右目をあらうとツクヨミノミコト、鼻をあらうとスサノオノミコトが生まれてきた。
アマテラスオオミカミ(天照大神)
日本神話の神。伊勢神宮の祭神で、皇祖神と太陽神の性格とをあわせもつ。黄泉国(よみのくに)から生還したイザナキノミコト(→イザナキとイザナミ)が、禊で左目をあらったときに生まれ、同時に生まれたスサノオノミコトとツクヨミノミコト(月読命)の姉である。イザナキから神々がすむ天界の高天原(たかまがはら)の統治をまかされる。
天の岩屋戸
スサノオノミコトがいとまごいのためにアマテラスをたずねてきたときには、あまりの荒々しいさわぎに弟が国をうばいにきたのかと男の姿で武装してのぞむ。高天原で狼藉(ろうぜき)をかさねるスサノオを、アマテラスは、はじめはかばっていたが、彼が皮をはぎとった馬の死骸(しがい)をなげすて、これにおどろいた機織り女が死んでしまうにおよび、ついにおこって天上の岩窟、天の岩屋戸にとじこもってしまう。
すると天上も下界も真っ暗になり、悪神が横行しだし、災いが生じはじめた。そこで八百万(やおよろず)の神々は相談し、タカミムスヒノミコト(高皇産霊尊)の子の思慮深いオモイカネノカミ(思兼神)の発案により、夜明けをつげるナガナキドリをたくさんあつめ、サカキの枝に玉飾りや麻やコウゾや鏡をかけて、天の岩屋戸の前でお祭り騒ぎをはじめた。
アメノウズメノミコト(天鈿女命)が裸踊りをし、大勢がさわいでいると、岩屋戸の中のアマテラスオオミカミは、なにがおこったかと、扉をひらいた。そのとき、アメノタヂカラオノカミ(天手力雄神)がアマテラスをつれだし、岩屋戸を注連縄(しめなわ)をはってふさいでしまう。アマテラスが岩屋戸をでた瞬間、天地にはふたたび光明がおとずれた。
スサノオノミコト(素戔嗚尊)
日本神話の神のひとり。須佐之男命などともしるされる。アマテラスオオミカミの弟で、オオクニヌシノカミの祖先にあたる。
傍若無人さと追放
「古事記」(712)によれば、黄泉国(よみのくに)から生還したイザナキノミコト(→イザナキとイザナミ)が禊をして、鼻をあらうと生まれでてきた。死んだ母イザナミを恋い、ひげが長くのびる年ごろになっても黄泉国にいきたいと泣きわめいてばかりいた。そのためイザナキからうけた海原をおさめる役割をはたさず、山の草木は枯れ、川や海の水は涙に吸いとられてひあがった。
母への思いをはたすため、いとまごいに神々のくらす高天原(たかまがはら)をおとずれる。このときの、あまりの荒々しい登場ぶりに、高天原を統治する姉アマテラスオオミカミは、弟が国をうばいにきたのかと男の姿で武装してのぞむ。
弟は邪心のない証明に、あらかじめ神にちかったとおりの結果があらわれるかどうかをうらなう誓約をして、それぞれの子を生むことを提案した。姉は弟の剣を3つに折って口にいれ、3人の女神を生んだ。弟は姉の珠(たま)をとって口にいれ、5人の男神を生んだ。この結果、潔白をみとめられた弟は、調子にのって高天原で狼藉(ろうぜき)をはたらきだした。
それまではかばっていた姉も、弟が皮をはぎとった馬の死骸(しがい)をおとしておどろいた機織り女が死んでしまうにおよび、おこって天上の岩窟、天の岩屋戸にひきこもってしまったため、世界は暗闇(くらやみ)につつまれてしまう。この一件が収拾すると、スサノオはひげを切られ、爪(つめ)をぬかれて追放される。
出雲国とオオクニヌシノカミ
追放されたスサノオノミコトは、出雲(いずも)国(現在の島根県)の肥河(ひのかわ)の上流の鳥髪(とりかみ)に降り、大蛇ヤマタノオロチの生贄(いけにえ)にされそうになっていたクシナダヒメ(奇稲田姫)とであう。知恵をはたらかせて大蛇を酒でよわせておいて、たくましい力でたちむかい、切りきざんで、みごとに退治してしまう。その後彼はクシナダヒメと結婚し、須賀(島根県大原郡)に宮をつくって平穏にくらす。
のちのオオクニヌシノカミの神話では、スサノオノミコトはオオクニヌシの祖先として冥界(めいかい)の根の堅洲国(かたすくに)でくらしている。そこでは、オオクニヌシにさまざまな試練を課し、それを克服した彼に娘スセリビメノミコト(須勢理毘売命)と太刀(たち)と弓をあたえ、出雲国の主となるように激励する。
荒々しい英雄像
スサノオノミコトの活躍は、天界・地上界・冥界と広域にわたる。なき母を恋いもとめてやまない幼児性と傍若無人なふるまい、たぐいまれな怪力と巧妙な知恵がまざって、荒々しい神の姿をつくりあげている。ヤマトタケルノミコトとともに、日本神話の代表的英雄となっている。
オオクニヌシノカミ(大国主神)
日本神話の神。オオクニヌシノミコト、オオナムチノミコトとよばれる場合も多い。スサノオノミコトの6代目の子孫。出雲大社の祭神。
イナバノシロウサギ
「古事記」(712)によれば、うつくしいヤガミヒメ(八上比売)に求婚する兄のヤソガミ(八十神)につれそって因幡(いなば)国(現在の鳥取県)にやってきたオオクニヌシノカミは、そこで先行した兄たちにいじめられたイナバノシロウサギをすくう。
島にすんでいたウサギがサメをだまして本土へわたろうとしたところ、おこったサメに皮をはがされてしまった。オオクニヌシの兄たちは、ウサギに海水をあびればなおるとおしえたが、傷はさらにひどくなった。そこへあとからきたオオクニヌシは、川の水で体をあらい、ガマの花粉をあつめて体につけるようにウサギにおしえる。回復したウサギは、オオクニヌシとヤガミヒメとの結婚を予言し、的中する。
出雲国統治
嫉妬(しっと)した兄たちの悪巧みによって幾度も殺されかけたオオクニヌシは、先祖のスサノオノミコトがいる地底の根の堅洲国(かたすくに)ににげる。そこでスサノオの娘スセリビメノミコト(須勢理毘売命)とであい恋におち、スサノオが課したさまざまな難題を解決して、ついにむすばれる。2人は、スサノオからさずかった支配者の象徴となる太刀(たち)と弓をもって地上界にもどり、わるい兄弟たちをおいはらい、出雲(いずも)国をおさめる。そこで小さなスクナビコナノミコト(少彦名命)やオオモノヌシノカミ(大物主神)らの協力をえて、国を繁栄させていった。
国ゆずり
天界の神々がくらす高天原(たかまがはら)を統治するアマテラスオオミカミは、下界も自分の子供がおさめるべきだと考え、雷と剣の神タケミカヅチノカミ(建御雷神)と船の神アメノトリフネノカミ(天鳥船神)を派遣する。タケミカヅチノカミは、オオクニヌシの息子のタケミナカタノカミ(建御名方神)との力比べに勝利し、オオクニヌシの一族は地上の国をゆずった。
この国ゆずりは、皇室が祖先神とあがめるアマテラスオオミカミへの出雲国の服属を意味している。それは大和朝廷と地方豪族との関係を反映する。また、海からやってきたスクナビコナノミコトやオオモノヌシノカミらの神々は、大陸や朝鮮半島からおとずれた人々をあらわしているとされる。
サルタヒコノオオカミ(猿田彦大神)
日本神話の神。高い鼻と真っ赤にかがやく目をもち、身の丈は7尺(約2.1m)余りという。
天界の高天原(たかまがはら)から下界をおさめるためにあまくだるニニギノミコト(瓊瓊杵尊)の一行を、天と地の境界でまちうけた。この異様な容姿の神に一行は対処にとまどうが、アメノウズメノミコト(天鈿女命)が問いただすと、伊勢(いせ)国から案内役に参上したことが明らかになった。
コノハナノサクヤビメ(木花之開耶姫)
日本神話の登場人物。オオヤマツミノカミ(大山祇神)の娘で、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)の妻。
ニニギノミコトは天孫降臨ののち、笠沙の御崎(かささのみさき:現在の鹿児島県野間半島)でコノハナノサクヤビメとであう。彼女の美しさに心をうばわれたニニギは、サクヤビメに求婚する。オオヤマツミノカミは、サクヤビメとともにその姉のイワナガヒメ(磐長姫)もさしだしたが、姉の方は醜かったのでかえされてしまう。父はこれをはじてニニギをのろった。
ニニギノミコトと結婚したコノハナノサクヤビメは一晩で妊娠したために、夫から疑いをかけられる。この疑いを解くために彼女は、「火中でも無事に生まれれば、あなたの子であることが証明されるでしょう」といって、みずから産屋に火をはなった。そこで生まれた子供のうちホデリノミコト(火照命)は海幸彦、ホオリノミコト(火遠理命)は山幸彦になった。
禊 みそぎ
罪や不浄をとりのぞき、身をきよめるための神道儀礼。「禊祓(みそぎはらえ)」ともいう。祓の一種ともみなされるが、とくに、川や海にはいって、水の清浄な力であらいながすことをいう。沐浴(もくよく)も同じ意味でつかわれる。
語源
「みそぎ」の語源については、「水(みず)滌(そそ)ぎ」あるいは「身(み)清(すす)ぎ」とするのが有力で、ほかに罪や穢(けがれ)を身体からとりさる「身削(そ)ぎ」とする説がある。記紀神話(→古事記:日本書紀)に、イザナキノミコト(→イザナキとイザナミ)が黄泉国(よもつくに)を訪問した後、身体についた汚穢(おえ)をのぞくために、川の中瀬で「禊祓」したという起源説話をのせている。
天皇の禊
禊は、神事に奉仕する人に対して要請されるもので、祭りの前におこなわれた。天皇が、大嘗祭の前月におこなう御禊(ごけい)、伊勢神宮の斎宮・賀茂(かも)神社の斎院が、潔斎にはいる前や祭りの前におこなう御禊は、もっとも大規模なものである。天皇による御禊は、年中恒例の祭りで勅使を発遣するときや、神社に行幸するときにもおこなわれていた。この禊の簡略化した形式が、神社への参詣者が入り口でおこなう手水(てみず:ちょうず)である。
中世以降、禊には修行的な要素もくわえられる。「垢離(こり)を掻(か)く」とか「垢離をとる」といって冷水をあびる垢離がそれで、これによって、精神的な清浄をえることも重視されている。
誓約(うけい)
神に誓いをたてて、ある事柄についての吉凶・真偽・成否についての神意をうかがうこと。古代日本でおこなわれた占いの一種。
記紀神話(→古事記:日本書紀)に、スサノオノミコトが姉のアマテラスオオミカミにその野心をうたがわれたとき、自分の生む子が男ならば清き心で、女ならば悪しき心があると誓約をし、5男神を生んで自らの潔白を証明した、とあるのが代表的な例である。
祓 はらえ
罪・穢(けがれ)・病気・災厄などをのぞくためにおこなう神道儀礼。「解除」と書かれることもある。禊と混同されるが、本来は別の儀礼だった。古代社会において祓とは、罪をおかした者に財物を提出させて償いをさせる行事だった。
大祓
7世紀末の天武天皇の時代、国家的神道行事としての大祓(おおはらえ)が成立する。大祓は、国じゅうの罪をはらいきよめるとして、地方の有力者である国造らから馬や刀などを祓具(はらえのぐ)として提出させたもので、新しい中央集権国家を建設するための象徴的な儀式であった。これは「神祇令(じんぎりょう)」にも規定され、毎年6月と12月の晦日(みそか)におこなわれる年中行事となる。
また、御贖(みあが)または節折(よおり)ともよばれる、天皇個人の祓の儀もおこなわれていた。そのほか、災厄や喪服をのぞいたり、祭りの前に清浄をもたらすことを目的とする臨時の大祓も頻繁におこなわれた。
個人的な祓の広まり
平安時代には、陰陽道が除災のための呪法(じゅほう)として祓をとりいれ、河臨(かりん)祓、七瀬(ななせ)祓などをはじめたため、貴族たちの信仰習俗として定着することになる。個人的な祓は、密教修法(しゅほう)と同じく祈祷(きとう)の一種とみなされ、百度祓・千度祓・万度祓などのように回数をふやすほど利益(りやく)があるとされた。陰陽道の影響により、僧侶が修する祓として六字河臨法が成立した。
神職の間でも個人的祈願に応じる神道儀礼として盛んにおこなわれ、中世には伊勢神宮の御師(おし)たちの活動によって庶民の間にもひろめられていった。これによって、大祓詞(ことば)は中臣祓(なかとみばらえ)として一般社会でとなえられるようになり、後世の神道説でも重要な位置づけがなされることになる。
人形
これら個人的な祓では、祓具として人形(ひとがた)がもちいられた。人形は、身についた不浄や災厄をうつしてから川などにながすもので、身代わりになるので形代(かたしろ)、自らの罪をあがなうので贖物(あがもの)、身体にこすりつけるので撫物(なでもの)などともいわれる。これは、3月の上巳(じょうし)の日におこなわれていた上巳の祓でもつかわれて、3月の節句の流し雛(びな)の原形となった。
そのほか、6月晦日の大祓は、民間では夏越(なごし)の祓といい、神社の参道にもうけられた大きな茅(ち)の輪をくぐって厄よけをする行事として定着している。
天の岩屋戸(あまのいわやど)
日本神話の天界、高天原(たかまがはら)にある岩窟。スサノオノミコトの狼藉(ろうぜき)におこった姉アマテラスオオミカミが、たてこもったところ。
アマテラスが天の岩屋戸にこもってしまうと、天界も下界も真っ暗になってしまったため、八百万(やおよろず)の神々は相談をはじめる。そこで、思慮深いオモイカネノカミ(思兼神)の発案により、夜明けをつげるナガナキドリをたくさんあつめ、サカキの枝に玉飾りや麻やコウゾや鏡をかけて、天の岩屋戸の前で祭りをはじめることになった。
アメノウズメノミコト(天鈿女命)が桶(おけ)の上で神がかった裸踊りをはじめ、大勢がさわぎだすと、アマテラスオオミカミは、なにがおこったかと、天の岩屋戸の扉をひらいた。それをのがさず、アメノタヂカラオノカミ(天手力雄神)がつれだし、注連縄(しめなわ)をはって岩屋戸をふさいだ。アマテラスオオミカミが岩屋戸をでた瞬間、天地にはふたたび光明がおとずれた。
この岩屋戸の前でおこなわれた祭りは、古代の宮廷儀礼の鎮魂祭にもとづくものとされる。鎮魂祭は、冬至のころにもっともおとろえる太陽の光と熱をよびもどし、天子の魂を復活させるためにおこなわれた。
三種の神器(さんしゅのじんぎ)
八咫鏡(やたのかがみ)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の3種類の宝物。日本の歴代天皇が、皇位の標識としてうけついできた。
日本神話では、天の岩屋戸にかくれたアマテラスオオミカミをおびきだすために、天安河(あめのやすのかわ)の硬石と天金山(あめのかなやま)の鉄からつくられた八咫鏡と動物の牙(きば)や貴石でつくった八尺瓊勾玉が準備されたとされる。草薙剣は、スサノオノミコトが退治した大蛇ヤマタノオロチの尾からでてきた。
ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)の天孫降臨の際に、アマテラスオオミカミがこれらの三種を彼に手わたした。
参照 (Microsoft(R) Encarta(R) 97 Encyclopedia.