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融通念仏宗、浄土宗、浄土真宗、時宗

浄土教(じょうどきょう)

浄土の往生を説く教え。念仏によって、死後、浄土に往生し、仏果が得られると説くもの。
浄土教 じょうどきょう 本来の意味は、阿弥陀仏の西方極楽浄土、薬師如来の東方浄瑠璃(じょうるり)世界、弥勒菩薩の兜率天(とそつてん)など、諸々の他界浄土への信仰の総称であるが、中国や日本では、念仏によって西方極楽浄土へ往生することをねがう阿弥陀仏信仰が圧倒的に普及したため、これを浄土教とよぶ(→極楽)。西暦紀元前後のインドでは、釈迦仏以外に多くの仏を想定する多仏思想や、一切衆生の救済をめざす菩薩行思想など、大乗仏教の教義の発展にともない、文学的構想の中に浄土信仰をおりこんだ大乗経典が続々と成立した。そしてのちに竜樹や世親が、これらをもとに浄土思想を体系づけた。

中国では、阿弥陀仏について説く経典が漢訳大乗仏典の3分の1にのぼり、極楽浄土信仰が独立して普及されるようになった。5世紀に慧遠が設立した念仏結社「白蓮社」は、その最初とされている(→白蓮教)。6~7世紀に、曇鸞が「往生論註」をあらわして空思想による浄土教義の基礎づけをおこない、道綽が「安楽集」で末法の世における浄土門の意義をとき、善導が「観無量寿経疏」(かんむりょうじゅきょうしょ)で他力往生の思想を確立した。これに、8世紀の慈愍(じみん)をくわえた慧遠流・善導流・慈愍流の3流が、中国浄土教の中心となった。

日本では円仁・空也・源信などをへて成立した、良忍の融通念仏宗、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗などがこれに属する。 仏教伝来とともに浄土教の教義はつたえられ、平安時代には比叡山を中心に観想念仏がおこなわれた。平安中期に源信が「往生要集」を、永観(ようかん)が「往生拾因」(おうじょうしゅういん)をあらわして浄土教の基礎を確立した。鎌倉時代になると、法然が専修(せんじゅ)念仏をといて浄土宗をたて、その影響下に親鸞の浄土真宗、一遍の時宗が成立した。浄土教の根本聖典は、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経である。

仏教伝来とともに浄土教の教義はつたえられ、平安時代には比叡山を中心に観想念仏がおこなわれた。平安中期に源信が「往生要集」を、永観(ようかん)が「往生拾因」(おうじょうしゅういん)をあらわして浄土教の基礎を確立した。鎌倉時代になると、法然が専修(せんじゅ)念仏をといて浄土宗をたて、その影響下に親鸞の浄土真宗、一遍の時宗が成立した。浄土教の根本聖典は、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経である。

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参照 (Microsoft(R) Encarta(R) 97 Encyclopedia.