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「此岸」と「彼岸」 釈迦が説いた教え

此岸(しがん)とは

此岸は私たちの住んでいる世界の事で、欲や煩悩にまみれた世界です。さまざまな苦悩に堪(たえ)え忍ばねばならないこの世界を、サンスクリット語では「サハー」といい、「忍土」という意味です。
これを中国語では「娑婆」と書き、世間の事を俗に「しゃば」というのは、ここから来ています

 

彼岸(ひがん)とは

釈迦が「彼岸に渡れ」と説いたように、彼岸は人々が欲や煩悩から解放された世界です。
彼岸はサンスクリット語で「パーラム」、渡る事は「イター」といい、これをつなぐと「パーラミター」となります。どこか聞き覚えにある言葉です。これは有名な「般若心経(はんにゃしんぎょう)」の一節「波羅蜜多(はらみつた」の事です。大乗仏教の基本経典で、まさしく「彼岸へ渡る」事を説いたものです。

 

釈迦が説いた教えは

「どうしたら幸せになれるか」という事がテーマになっています。
此岸と彼岸の間には、仮に大きな川があると想像して下さい。自分がいる方を「此岸」、向こう岸を「彼岸」とします。仏教では、私たちが住む「此岸」を凡夫の世界(煩悩にあふれた世界)、「彼岸」は仏の世界(煩悩の火が消えた、涅槃の世界)と考えます。 釈迦は、「人は此岸では真の幸せになれなから、彼岸に渡れ」といい大きな川を渡る方法を説きました。
そこで問題になるのは渡る方法です。小乗仏教の教えた方法は、川を渡れるのはごくかぎられた人々です。
しかし、これは釈迦の望んだ教えではないとして、すべての人が渡れるように方法を説いた大乗仏教が誕生しました。
釈迦は最初に川を渡る専門家たちに「出家せよ」と説きました。なぜなら、川を泳ぐ為には、身ひとつでなければ泳げないからです。服を着たまま、あるいは財産など持って行けるわけがない。また、自分1人でも泳ぎきれるかどうかわからない。だから、妻子も捨てて、「裸になりなさい」と教えたのです。やがて、出家した者が渡りきった後には、必ずすべての人々が渡れる橋がかかる。釈迦はのちに人々を導く役目を出家僧たちに託しました。

 

此岸にいながら彼岸に渡る六つの方法

小乗仏教では出家して修行を積む事が彼岸へ渡る方法と考えました。しかし、こうした修行は普通に暮らす人々には無理です。いつまで経っても不幸のままです。 では、大乗仏教では、どうすれば良いと考えたのでしょう。大乗仏教の根本的な教えを説いた経典に「般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみつたしんぎょう)」があります(「般若心経」の事)。「般若」とは智慧(ちえ)、「波羅蜜多」とは彼岸に渡るという意味です。つまり、「般若波羅蜜多心経」は「智慧で彼岸に渡る」方法を中心に説いた経典といえます。という事は、「わざわざ彼岸に渡らなくとも良い」、此岸にいながら、彼岸の智慧を身に付ければよいのだと教えています。 小乗仏教のように出家して、厳しい修行を積んで彼岸に渡らなくとも、在家(ざいけ)の普通の人々でも実践できる方法を「般若波羅蜜多心経」は教えています。

 

どうしたら彼岸の智慧を身に付けられるか?

大乗仏教では、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の実践がすすめられます。
  この六波羅蜜はすべて実践できる、実践すべき教えです。実践することにより、般若(単なる智慧でなく、どこまでも深まっていく智慧)が身に付きます。ひいては、此岸にいながらにして彼岸に渡ることになります

布施波羅蜜(ふせ)   布施をすること

持戒波羅蜜(じかい)  戒律を持って生きること

忍辱波羅蜜(にんにく) 堪え忍ぶこと

精進波羅蜜(しょうじん)努力すること

禅定波羅蜜(ぜんじょう)座禅すること

智慧波羅蜜(ちえ)   前五つの波羅蜜の実践によって得られる智慧のことです。

六つの波羅蜜(はらみつ)が何であるかはわかったものの、実際には何をどうすればよいのか?